Chapter 7: 十年前の決断
記者会見の日。
私は朝から落ち着かなかった。
卒業式の翌日だというのに、制服ではなく正式な礼服を着て、学校の大きな会議室へ向かっていた。
廊下には多くの人がいた。
報道関係者。
学校関係者。
そして、私を見て小さく頭を下げる教官たち。
昨日までなら、私はただ通り過ぎるだけの存在だった。
でも今は違った。
私の名前が、知らない人たちの口から聞こえていた。
「佐伯美月さんだ」
「首席卒業の……」
その声を聞くたび、少し不思議な気持ちになった。
私はずっと、自分は誰にも見られていないと思っていた。
でも、本当は見てくれている人がいた。
ただ、一番見てほしかった人だけが見ていなかった。
会議室の前で父が待っていた。
いつものスーツ姿。
でも、以前のような自信に満ちた表情はなかった。
「美月」
私は足を止めた。
「何?」
父は少し迷った後、言った。
「今日、何を言われても……」
「何?」
「俺のせいだ」
私は父を見る。
「それだけ?」
父は黙った。
私は小さく息を吐いた。
「お父さん」
「……」
「私は昨日まで、自分が捨てられたと思ってた」
父の目が揺れた。
「でも今は違うと思ってる」
「何が違うんだ」
「あなたは私を捨てたんじゃない」
私は静かに言った。
「あなたは、自分の恐怖から逃げただけ」
父は何も返せなかった。
その時、会議室の扉が開いた。
「始まります」
学校長が声をかけた。
私と父は中へ入った。
壇上には学校長。
その横には、見慣れない男性が座っていた。
年齢は六十代ほど。
胸元には古い防衛関係者の徽章があった。
学校長がマイクを持つ。
「本日は、佐伯美月さんに関する発表があります」
カメラのシャッター音が響いた。
「彼女は今年度、首席卒業だけではなく、特別功労章の候補者として正式に推薦されていました」
会場がざわめく。
私は知らなかった。
父も知らなかった。
いや。
父は知っていたのかもしれない。
男性が立ち上がった。
「私は、故・佐伯由紀さんと共に活動していた者です」
母の名前。
その瞬間、胸が締まった。
「彼女は十年前、自分の命が長くないことを知りながら、一つの願いを残しました」
男性は封筒を取り出した。
「娘には、自分の道を選ばせてほしい」
私は息を止めた。
「しかし、その願いは守られなかった」
会場の空気が変わった。
父が俯く。
男性は続けた。
「佐伯隆司さんは当時、防衛大学校への進学推薦を取り下げるよう、学校側へ連絡しました」
カメラが一斉に父へ向く。
私の胸が痛んだ。
知っていた。
でも、実際に他人の口から聞くと違った。
父が立ち上がった。
「……その通りです」
会場が静まる。
「私は間違えました」
父の声は震えていた。
「娘を守るつもりだった」
彼は私を見る。
「でも、実際には娘の未来を奪おうとしていた」
私は黙って聞いた。
父が公の場で謝罪する姿を見るのは初めてだった。
男性は一枚の写真を取り出した。
古い写真だった。
そこには、幼い私を抱く母と、隣で笑う若い父がいた。
「由紀さんは最後にこう言いました」
男性が紙を読む。
「もし美月が誰かに止められても、自分で立ち上がれる子に育ててほしい」
涙が出そうになった。
母は知っていた。
いつか私は壁にぶつかることを。
そして、それを越える力があることも。
会見が終わった後。
私は一人で廊下に立っていた。
父が近づいてきた。
「美月」
私は振り返らなかった。
「まだ許せない」
父は静かに頷いた。
「分かっている」
「でも……」
私は続けた。
「初めて、あなたが本当のことを言った」
父は目を伏せた。
「遅すぎたな」
その言葉の後。
学校長が遠くから呼んだ。
「佐伯さん」
振り返ると、学校長の手には新しい封筒があった。
「まだ渡していないものがあります」
私は受け取った。
表には、母の名前。
そして、もう一つ。
知らない人物の名前が書かれていた。
その名前を見た瞬間、父の顔色が変わった。
「……なぜ、その人の名前が」
私は父を見る。
「誰なの?」
父は答えなかった。
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ただ、小さく呟いた。
「お前が一番会ってはいけない人だ」