Chapter 1: ピンクのクリームと沈黙
「女の子なんて、健太の家系には必要ないのよ」
その言葉を聞いた瞬間、私は自分の耳を疑った。
ベビーシャワーの会場には、まだ幸せな笑い声の余韻が残っていた。壁には淡いピンクと白の風船が飾られ、テーブルの上には小さな靴下やぬいぐるみが並んでいた。
私はお腹にそっと手を置いた。
七か月。
私と健太がずっと待ち望んでいた小さな命。
少なくとも、私はそう思っていた。
「優花、切るよ!」
妹の美咲が笑顔でナイフを持ち上げた。
「みんな、準備して!」
部屋にいた家族や友人がスマホを構える。
私は健太を見る。
彼は少し離れた場所で、優しい顔をしていた。
「緊張してる?」
私が聞くと、健太は笑った。
「少しだけ。でも、どっちでも嬉しいよ」
その言葉を聞いて、私は安心した。
健太なら大丈夫。
この子は、父親に愛される。
そう信じていた。
ケーキにナイフが入った。
白いクリームの下から、鮮やかなピンク色が現れる。
次の瞬間、美咲が叫んだ。
「女の子よ!」
歓声が上がった。
「おめでとう!」
「可愛い!」
「優花、よかったね!」
私は涙を浮かべながら笑った。
でも、その瞬間だった。
部屋の隅から、椅子が引かれる音がした。
義母の悦子が立ち上がった。
彼女は笑っていなかった。
「……女の子?」
小さな声だった。
誰も気づかないほどの声。
でも、私は聞いた。
悦子はゆっくりケーキへ近づいてきた。
「お義母さん?」
私が呼びかける。
彼女は返事をしなかった。
ただ、ケーキを見つめていた。
そして突然、両手でケーキを掴んだ。
「え……?」
理解するより先に、冷たいクリームが顔全体にぶつかった。
時間が止まったようだった。
甘い匂い。
頬を流れる生クリーム。
髪に絡みつくピンクのクリーム。
誰も声を出さなかった。
悦子は私の顔の前まで近づいた。
「健太には男の子がふさわしいのよ」
私はゆっくり顔を上げた。
「……何を言っているんですか?」
「聞こえなかったの?」
悦子はため息をついた。
「私の息子は跡取りが必要なの」
部屋の空気が凍った。
私は健太を見る。
「健太……」
彼なら止めてくれる。
そう思った。
でも。
健太は動かなかった。
母親を見る。
次に私を見る。
それだけだった。
「健太、何か言って」
声が震えた。
彼は唇を開いた。
しかし、出てきた言葉は私を救うものではなかった。
「優花……今は落ち着いて」
胸の奥が冷たくなった。
落ち着く?
私の顔にケーキを叩きつけられたのに?
お腹にいる子を否定されたのに?
悦子は玄関を指差した。
「出て行きなさい」
私は目を瞬いた。
「……何ですって?」
「聞こえたでしょう」
彼女は腕を組む。
「うちの家族に恥をかかせないで」
私はゆっくり立ち上がった。
震えていた。
怒りなのか、悲しみなのか、自分でも分からなかった。
でも、一つだけ分かった。
この瞬間まで、私は間違った人たちを家族だと思っていた。
私はバッグからハンカチを取り出し、顔のクリームを拭いた。
そして悦子を見た。
「喜んで出て行きます」
健太の表情が変わった。
「優花、話をややこしくするなよ」
私は笑った。
自分でも驚くほど冷たい笑いだった。
「私が?」
「母さんも少し言い過ぎただけだ。妊娠中で感情的になってるだろ」
その瞬間、何かが切れた。
「感情的?」
私は一歩近づいた。
「私のお腹の子を否定されても、あなたは母親を守るの?」
健太は黙った。
その沈黙が答えだった。
私はバッグの中へ手を入れた。
スマホ。
そして、小さな封筒。
健太の顔色が変わった。
「優花……それは」
悦子が眉をひそめる。
「何なの?」
私は封筒を父に渡した。
「お父さん、読んで」
父は戸惑いながら封を開けた。
数秒後。
父の顔から笑顔が消えた。
「健太」
低い声だった。
「これはどういうことだ?」
健太が一歩前へ出る。
「待ってくれ」
父は書類を握った。
「この家の名義人は……優花になっているじゃないか」
部屋がざわついた。
悦子が目を見開く。
「嘘……」
私は健太を見る。
「お義母さんに教えてあげたら?」
「この家の頭金を誰が払ったのか」
健太の口が開いた。
しかし、その時。
私のスマホが震えた。
不動産を担当している弁護士からだった。
画面に表示された一行目を見た瞬間。
私は息を止めた。
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そこには、家の名義よりも恐ろしい秘密が書かれていた。
「優花さん、確認しました。健太さんについて、以前から調査していた件ですが――」