Chapter 12: 最後の面会記録
病院の廊下は、三年前と何も変わっていなかった。
白い壁。
消毒液の匂い。
静かな足音。
私はここで母と最後に話した。
あの日。
母は笑っていた。
「大丈夫」
そう言った。
でも今なら分かる。
母は、大丈夫ではなかった。
私は待合室で美智子を待った。
約束の時間。
五分。
十分。
二十分。
彼女は来なかった。
「やっぱり……」
帰ろうとした時。
背後から声がした。
「咲希」
振り返る。
美智子だった。
でも、いつもの強い顔ではなかった。
疲れ切った顔。
「来たのね」
私は言った。
「母さんのことを話して」
美智子は黙っていた。
「全部」
しばらくして、彼女は椅子に座った。
「私は、あなたのお母さんを憎んでいた」
予想していた言葉だった。
でも、その続きは違った。
「でも、本当は羨ましかった」
私は眉をひそめた。
「何が?」
「あなたを愛してくれる人がいたこと」
美智子は目を伏せた。
「私の人生には、誰もいなかった」
私は何も言わなかった。
「だから私は間違えた」
彼女は続ける。
「自分が持っていないものを、奪おうとした」
「財産?」
「違う」
美智子は首を振った。
「家族」
その言葉に、私は驚いた。
「だったら、なぜ?」
「方法を間違えたの」
彼女の声が震えた。
「結衣を愛していた」
私は黙った。
「でも、愛し方を知らなかった」
美智子は涙を流した。
「だから、価値のあるものを与えれば愛されると思った」
私は静かに聞いた。
「母さんの死については?」
美智子の顔が固まる。
「……」
「知ってるよね」
長い沈黙。
「私は」
美智子が言った。
「あなたのお母さんを殺してはいない」
私は彼女を見る。
「でも?」
美智子は拳を握った。
「助けることができた」
胸が痛んだ。
「何をしたの?」
彼女は震える声で答えた。
「治療の情報を隠した」
「……」
「医師から届いた連絡を、私は止めた」
私は息を呑む。
「なぜ?」
「お金が欲しかった」
美智子の涙が落ちる。
「でも、最後の日」
彼女は続けた。
「あなたのお母さんは全部知っていた」
私は目を閉じた。
母は知っていた。
でも、最後まで戦わなかった。
「なぜ母さんは、あなたを責めなかったの?」
美智子は震える笑みを浮かべた。
「最後に言われたの」
「何て?」
「『あなたも誰かに愛されたかっただけなのね』って」
私は涙をこらえた。
母は最後まで優しかった。
でも。
「それでも、あなたは許されないことをした」
私が言うと、美智子は頷いた。
「分かってる」
その時。
彼女は小さな鍵を取り出した。
「これを渡すために呼んだ」
私は見る。
見覚えがある。
母のワンピースに隠されていた鍵と同じ形。
「何の鍵?」
美智子は言った。
「あなたのお母さんが最後に残した部屋」
「部屋?」
「病院の地下にある保管室」
私は息を止めた。
「そこに何があるの?」
美智子は私を見る。
「あなたのお母さんが、最後まで守った証拠」
私は鍵を受け取った。
その瞬間。
廊下の奥から足音が聞こえた。
父だった。
「咲希!」
父の顔は恐怖に染まっていた。
「その鍵を持ってはいけない」
私は驚く。
「なぜ?」
父は答えなかった。
美智子が小さく呟いた。
「やっぱり……」
私は父を見る。
「お父さん、知ってたの?」
父の沈黙。
そして、震える声。
「その部屋を開けたら……」
父は目を閉じた。
「お前は、俺を許せなくなる」
地下へ続く階段の前。
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母が最後に隠した場所。
そこには、私がまだ知らない父の秘密が眠っていた。