Amazed

Chapter 10: 母を追い詰めた人物

ドアの向こうに立っていた男を見た瞬間、私は息を止めた。

五十代くらいの男性。

黒いコート。

疲れた目。

でも、その目だけはどこか見覚えがあった。

「あなたは……」

男は私を見ると、ゆっくり頭を下げた。

「咲希さんですね」

父が後ろから近づいてきた。

そして男の顔を見た瞬間。

明らかに動揺した。

「……直人」

その名前を聞いた瞬間、空気が変わった。

男は父を見た。

「久しぶりだな」

私は父を見る。

「知り合い?」

父は答えなかった。

その沈黙が、何より不自然だった。

男――直人は家の中へ入ることを求めなかった。

ただ玄関先で言った。

「あなたのお母さんとの約束を果たしに来ました」

私は一歩前へ出る。

「母と?」

「はい」

直人は小さな封筒を取り出した。

「これを、あなたに渡すよう頼まれていました」

私の指先が震えた。

また母の手紙。

でも、今度は違った。

母が亡くなる直前に、誰かへ預けたもの。

私は封筒を受け取った。

父が低い声で言う。

「直人、それを渡す前に話してくれ」

直人は父を見る。

「今さら隠すのか?」

父は黙った。

「あなたは、まだ咲希さんに真実を話していない」

私は父を見る。

「何の話?」

直人は深く息を吐いた。

「あなたのお母さんを苦しめたのは、美智子さんだけではありません」

胸が締め付けられる。

「じゃあ誰?」

直人は父を見る。

「彼です」

父の顔が青ざめた。

「違う」

初めて父が強く否定した。

「俺は――」

「あなたは彼女を守ろうとした」

直人が遮る。

「でも、そのために一番大切な人を傷つけた」

私は混乱した。

「どういうこと?」

直人はゆっくり話し始めた。

「あなたのお母さんは、病気になる前から会社の不正に気づいていました」

私は頷く。

それはもう知っている。

「でも、本当の問題は美智子さんだけではなかった」

直人は続ける。

「会社の中に、内部情報を流していた人物がいた」

父の表情が変わった。

「まさか……」

「そう」

直人は言った。

「あなたのお父さんの親しい人物です」

私は父を見る。

「お父さん?」

父は何も言わない。

「違う」

やっと父が口を開いた。

「俺は裏切っていない」

直人は悲しそうに笑った。

「裏切りとは、自分から秘密を売ることだけじゃない」

「……」

「真実を知りながら、黙ることも同じだ」

その言葉が父に刺さった。

私は封筒を握る。

「母さんは、知ってたの?」

直人は頷いた。

「はい」

「全部?」

「はい」

私は涙をこらえた。

母は一人で抱えていた。

病気。

家族の裏切り。

そして、私を守るための秘密。

「なぜ今まで来なかったの?」

私が聞くと、直人は目を伏せた。

「約束だったからです」

「誰との?」

「あなたのお母さんとの」

直人は言った。

「『咲希が自分で真実を求めた時だけ渡して』と」

私は手紙を見る。

母は、私が傷つくことを分かっていた。

それでも、最後には私に選ばせた。

「読んでもいい?」

直人は頷いた。

私は封筒を開いた。

中には一枚の手紙。

「咲希へ」

また母の字。

「ここまで来たあなたを、お母さんは誇りに思います」

涙が落ちた。

「あなたはきっと、お父さんを憎んでいるでしょう」

私は父を見る。

父は俯いていた。

「でも、お願いがあります」

母の文字。

「お父さんがしたことだけを見るのではなく、なぜそうしたのかを知ってください」

私は眉をひそめた。

「なぜ……」

次の行。

「お父さんは、あなたを守るために、自分の人生を壊しました」

私は息を止めた。

その時。

父が突然言った。

「もういい」

私は顔を上げる。

父は涙を流していた。

「俺が話す」

部屋の中が静かになる。

父は震える声で言った。

「美智子が会社の金を流用していたことを、俺は知っていた」

私は聞く。

「じゃあ、なぜ止めなかったの?」

父は答えた。

「止めようとした」

「でも?」

「その時、母さんが……」

父は言葉を失う。

「母さんが?」

父は拳を握った。

「美智子から脅されていた」

私は凍りついた。

「何を?」

父はゆっくり言った。

「お前の出生の秘密を、世間に広めると言われた」

私は何も言えなかった。

「母さんは、それを恐れた」

父の声が震える。

「でも、本当に恐れていたのは自分じゃない」

「私?」

父は頷いた。

その瞬間。

直人が静かに言った。

「まだあります」

私は彼を見る。

「まだ?」

直人は頷く。

「あなたのお母さんが最後まで隠していた、一番大きな秘密です」

彼はもう一枚の写真を取り出した。

そこに写っていた人物を見て。

私は言葉を失った。

写真の裏には、母の文字。

「咲希が本当に守らなければならない人」

May you like

そして、その写真には。

私の知らないもう一人の家族が写っていた。

Related Stories

Other posts