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Chapter 10: 亡き母からの電話

「美咲」

受話器の向こうから聞こえた声。

その一瞬だけで、時間が止まった。

ありえない。

そんなはずがない。

私は何度も心の中で否定した。

母は15年前に亡くなった。

葬儀にも出た。

父と一緒に、冷たい雨の中で母の棺を見送った。

なのに。

今、電話の向こうにいる。

「……誰ですか?」

私は震える声で聞いた。

数秒の沈黙。

そして。

「やっぱり、信じられないよね」

その声。

間違いなく母だった。

私は受話器を強く握った。

「あなたは……誰?」

「美咲、聞いて」

母の声が少し苦しくなる。

「今から言うことを、お父さんにはまだ話さないで」

胸が締め付けられた。

「なぜ?」

「時間がないから」

「時間がないって……」

「あなたが知った真実は、まだ半分なの」

私は周囲を見る。

ホテルのロビー。

スタッフたち。

宿泊客。

いつもと変わらない日常。

でも私だけ、別の世界にいるようだった。

「母さんは死んだ」

言葉にすると、涙が出そうになった。

「なのに、どうして……」

電話の向こうで、母は静かに答えた。

「私は死んだことになっているだけ」

その言葉に、息が止まった。

「何を言っているの?」

「美咲、あなたの父親は嘘をついていない」

意外な言葉だった。

「じゃあ……」

「でも、全てを話してもいない」

私は黙った。

母は続けた。

「旧ホテル棟の地下に、私が残したものがある」

「何を?」

「本当の契約書」

私は眉をひそめた。

「本当の?」

「あなたが持つ権利を証明するもの」

「でも、もう所有権は確認されたはず」

「違う」

母の声が強くなる。

「今、あなたが持っているものは表向きの権利だけ」

背中に寒気が走った。

「じゃあ、本当の所有者は……」

「美咲」

母が私の名前を呼ぶ。

「このホテルには、もう一つ隠された約束がある」

その時。

背後から声がした。

「美咲?」

振り向く。

父だった。

いつからそこにいたのか分からない。

父は私の手にある受話器を見る。

そして顔色が変わった。

「誰と話している?」

私は答えられなかった。

電話の向こうで母が囁いた。

「誠一がいるのね」

私は驚いた。

「分かるの?」

「分かるわ」

母の声が震える。

「彼はずっと苦しんでいたから」

父が一歩近づく。

「美咲」

私は受話器を隠した。

「お父さん……」

父は私の表情を見るだけで理解した。

「まさか」

その瞬間。

母の声が電話から響いた。

「誠一」

父が固まった。

何年も聞いていない声。

父の目に涙が浮かんだ。

「……春香?」

私は初めて見た。

父が、完全に動揺する姿を。

「生きていたのか」

父の声が震える。

電話の向こうで母が泣いていた。

「ごめんなさい」

「なぜ……」

父は言葉を失う。

「なぜ私たちを置いていった」

沈黙。

そして母は言った。

「置いていったんじゃない」

「守ったの」

父は苦しそうに目を閉じた。

私は二人の会話を聞きながら、理解できなかった。

母が生きていたなら。

なぜ?

なぜ今まで?

「春香」

父が聞く。

「誰から逃げていた」

長い沈黙。

母は答えた。

「あなたも知っている人よ」

その瞬間。

父の表情が変わった。

「まさか……」

母は小さく言った。

「隆司ではない」

私は息を止めた。

「じゃあ、誰?」

母は答えなかった。

代わりに。

「美咲、地下室へ行って」

「今?」

「今すぐ」

電話が切れた。

私は呆然と立っていた。

父は何も言わなかった。

ただ、遠くを見るような目をしていた。

「お父さん」

「……」

「誰なの?」

父はしばらく黙った。

そして。

「私が最も信じていた人間だ」

その答えを聞いた瞬間。

ホテルの正面玄関が開いた。

入ってきた人物を見て。

父の顔が青ざめた。

「そんな……」

そこに立っていたのは。

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15年前、母の葬儀の日以来。

一度も姿を見せなかった人物だった。

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