Chapter 5: 裏切り者の名前
その夜。
ホテルの最上階にある会長室には、重い沈黙が流れていた。
東京の夜景が窓の外に広がっている。
いつもなら美しく見える景色。
しかし、その日はただ冷たく感じた。
私はソファに座り、父の話を待っていた。
「西園寺家の人間」
その言葉が頭から離れない。
父は机の前に立っていた。
「美咲」
「誰なの?」
父は答えを探しているようだった。
「まだ確定ではない」
「でも、名前があるんでしょう?」
父は黙った。
私は立ち上がった。
「お父さん」
「……」
「私には知る権利がある」
長い沈黙。
そして父は、一枚の書類を取り出した。
「候補は三人いる」
書類には名前が並んでいた。
西園寺家の親族。
ホテル経営に関わる人物。
その中に、一つ見覚えのある名前があった。
「西園寺隆司」
父の弟。
私の叔父。
幼い頃、何度か会ったことがある。
いつも優しい笑顔だった。
「叔父さんが?」
父はすぐに否定した。
「まだ疑っているだけだ」
しかし、声には迷いがあった。
私はそれを聞き逃さなかった。
「お父さんは……知っているの?」
「何を」
「叔父さんについて」
父は窓の外を見た。
「隆司は昔から、このホテルを自分のものだと思っていた」
「でも、なぜ?」
「創業者であるお前の母親が、後継者として私を選んだからだ」
私は驚いた。
「お父さんは婿だったの?」
父は頷いた。
「私は経営を任されただけだった」
その言葉の意味が、少しずつ理解できた。
父はホテルを所有していたわけではない。
守っていたのだ。
私の母から託されたものを。
その時。
ドアがノックされた。
秘書が入ってくる。
「会長」
「どうした」
「西園寺隆司様がお見えです」
父と私は顔を見合わせた。
あまりにもタイミングが良すぎた。
「通せ」
数分後。
ドアが開いた。
入ってきた男性は、昔と変わらない笑顔だった。
「誠一」
「隆司」
叔父は私を見る。
「美咲ちゃん」
優しい声。
昔の記憶が蘇る。
しかし今は、その笑顔すら疑ってしまう。
叔父は私の頬の傷を見た。
「大丈夫か?」
私は答えなかった。
父が言う。
「なぜ来た」
叔父は少し驚いた顔をした。
「冷たいな。姪が暴力を受けたんだぞ」
「それだけか?」
空気が変わる。
叔父の笑顔が少し消えた。
「何を疑っている?」
父は机の上の資料を置いた。
「これについて説明してもらおう」
隆司は資料を見る。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
彼の目が揺れた。
それを私は見逃さなかった。
「知らない」
叔父は即答した。
「本当に?」
私が聞いた。
叔父は私を見る。
「美咲ちゃん」
「このファイルには、私の名前があります」
「だから?」
「誰かが私から権利を奪おうとしていた」
叔父はため息をついた。
「君はまだ若い。大人の事情には関わらない方がいい」
その言葉。
私は確信した。
この人は何かを知っている。
父が低い声で言った。
「隆司」
「何だ」
「今すぐ出て行け」
叔父の表情が変わる。
「兄さん」
「私はもう、お前を家族として扱えないかもしれない」
沈黙。
数秒後。
叔父は笑った。
でも、その笑顔には温かさがなかった。
「そこまで美咲を信じるんだね」
私は眉をひそめた。
「どういう意味ですか」
叔父は答えず、ドアへ向かった。
しかし、出る直前。
振り返った。
「美咲ちゃん」
「……」
「自分が何者なのか知ったら、今までの人生を後悔するかもしれないよ」
ドアが閉まった。
私は震えた。
父がすぐに言う。
「気にするな」
でも、その声にも不安があった。
その夜。
私は一人で母の写真を見ていた。
するとスマートフォンに通知が届いた。
知らない番号。
メッセージは一文だけ。
『あなたの母親は事故で死んだんじゃない』
心臓が止まりそうになった。
続けて、もう一通。
『本当の犯人を知りたければ、明日の午前0時、旧ホテル棟へ来い』
私は画面を見つめた。
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そして最後の一文が届いた。
『一人で来なければ、父親が次に失うものはホテルだけではない』