Chapter 4: 私の知らない過去
「彼女が本当の所有者だ」
その一文が、私の頭の中で何度も繰り返されていた。
応接室にいる全員が沈黙していた。
父――西園寺誠一は、いつもの冷静な表情を失っていた。
私は画面に映る古い書類を見つめた。
そこには、幼い頃の私の名前。
西園寺美咲。
そして、その横には見覚えのない印鑑。
「……これは何?」
私の声は、自分でも驚くほど小さかった。
父はすぐには答えなかった。
その沈黙が、何より怖かった。
「お父さん」
私はもう一度呼んだ。
「私に隠していたことがあるの?」
父は目を閉じた。
長い時間をかけて、ようやく口を開いた。
「ある」
その一言で胸が締め付けられた。
「でも、それはお前を守るためだった」
「守る?」
私は笑いそうになった。
「私は今まで、自分がただのホテルスタッフだと思っていた」
「美咲」
「毎日、他のお客様に頭を下げて、規則を守って、誰よりもこのホテルのために働いてきた」
声が震えた。
「なのに……私が知らないところで、私に関する何かが動いていたの?」
父は何も言わなかった。
その時、神谷蓮が初めて口を開いた。
「俺も知らなかった」
全員が彼を見る。
昨日、私を床に倒した男。
今は目を伏せていた。
「俺は、このホテルの秘密を手に入れれば、父さんの会社を救えると思っていた」
神谷社長が苦しそうに息を吐いた。
「蓮」
「でも、俺が聞かされていた話とは違った」
蓮は私を見る。
「お前が……このホテルの本当の権利者だなんて」
私は彼を睨んだ。
「だから私を傷つけたの?」
蓮の顔が歪む。
「違う」
「違わない」
私は立ち上がった。
足に痛みが走った。
「あなたは昨日、私を見下した」
蓮は黙った。
「私が誰なのか知らなくても、あなたは私を人間として扱わなかった」
その言葉に、彼は反論できなかった。
父が静かに言った。
「美咲の言う通りだ」
蓮が顔を上げる。
「家柄や財産が人の価値を決めると思っているなら、それは間違いだ」
神谷社長は深く頭を下げた。
「本当に申し訳ありません」
私はその謝罪を聞いても、簡単には心が動かなかった。
なぜなら、問題は蓮だけではなかったからだ。
私にはまだ、一つの疑問があった。
「お父さん」
「何だ」
「私は……本当に西園寺家の娘なの?」
父の表情が固まった。
その瞬間。
部屋の空気が変わった。
神谷社長も驚いた顔をした。
「まさか……」
父はゆっくり椅子から立ち上がった。
「美咲」
彼は机の引き出しから古い箱を取り出した。
革で覆われた、小さな箱。
「これは、お前が生まれた時から保管していた」
箱を開ける。
中には古い写真。
赤ん坊の私。
若い頃の父。
そして、もう一人。
知らない女性。
「この人は?」
父は写真を見つめた。
「お前の母親だ」
胸が大きく揺れた。
私は母の顔をほとんど覚えていない。
私が5歳の時に亡くなったから。
「母は……何をしていたの?」
父は答えた。
「このホテルの創業一族だった」
私は息を止めた。
「でも、お父さんがオーナーじゃないの?」
「表向きはな」
父は写真を裏返した。
そこには手書きの文字があった。
『美咲へ。18歳になったら渡してください』
私の名前。
母の字。
震える手で写真を持った。
「なぜ今まで渡さなかったの?」
父は苦しそうに言った。
「お前を普通の人生に送りたかった」
「普通?」
私は涙をこらえた。
「私は普通だったの?」
父は何も言えなかった。
その時、警備主任が突然声を上げた。
「会長!」
全員が振り向く。
彼はタブレットを操作していた。
「神谷氏の端末に、もう一つ暗号化されたファイルがあります」
「開けるか?」
「今、解析しています」
数秒後。
画面に文字が表示された。
全員が息を止める。
ファイル名。
『西園寺美咲_相続権放棄計画』
私の指先が冷たくなった。
「……相続権?」
父が画面を見る。
そして、初めて本当に動揺した。
「これは……」
「お父さん?」
父は答えなかった。
代わりに、神谷社長が呟いた。
「誰かが……あなたから権利を奪おうとしていた」
その瞬間。
警備主任の顔色が変わった。
「会長」
「何だ」
「ファイルの作成者が判明しました」
「誰だ?」
彼は画面を見る。
そして、ゆっくり名前を読み上げた。
「西園寺家の人間です」
部屋の空気が凍った。
父の顔から血の気が引いた。
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そして私は初めて気づいた。
私の敵は、外にいるとは限らない。