Chapter 3: 家族という名の嘘
「美咲……?」
私が名前を口にすると、庭の全員が彼女を見た。
美咲は顔を上げなかった。
膝の上で握った手が震えている。
「違う……」
小さな声だった。
「私じゃない」
由香里がすぐに反応した。
「美咲を疑うの?」
その声には怒りが混じっていた。
私は妻を見る。
「まだ何も言っていない」
「でも疑ってるじゃない!」
由香里は美咲の前に立った。
まるで守るように。
その姿を見て、私は気づいた。
妻は今でも、守る相手を間違えている。
黒田さんは落ち着いた声で言った。
「私たちは誰かを責めるために来たわけではありません」
彼は書類をテーブルに置いた。
「ただ、事実を確認したいだけです」
その書類には、大学への問い合わせ履歴が残っていた。
辞退届が提出された後、美咲の名前で「妹は進学を諦めるべきだ」という内容の相談メールが送られていた。
私は美咲を見た。
「これは……君が送ったのか?」
長い沈黙。
やがて、美咲の目から涙がこぼれた。
「……最初は」
その一言で、由香里が振り返った。
「美咲?」
「最初は、お母さんに言われただけだった」
美咲の声は震えていた。
「咲希には少し我慢してもらえばいいって」
庭に冷たい風が吹いた。
「私は……嫌だった」
美咲は涙を拭った。
「でも、お母さんが言ったの」
『あなたが一番苦労してきたんだから、少しくらい優先されてもいい』
私は目を閉じた。
その言葉は、娘を傷つけるには十分すぎた。
咲希は黙って聞いていた。
怒鳴りもしない。
責めもしない。
ただ、悲しそうに美咲を見ていた。
「美咲」
咲希が口を開いた。
「私、一度もあなたを恨んだことなかった」
美咲の肩が震える。
「でも……」
咲希は続けた。
「私の人生を壊す理由にされたことだけは、忘れられない」
美咲は泣き崩れた。
「ごめん……」
その謝罪は小さかった。
でも、確かに本心だった。
しかし由香里だけは違った。
「あなたたち、何を大げさにしてるの?」
彼女は冷たく言った。
「家族なら、助け合うのが普通でしょう?」
私はゆっくり妻に向き直った。
「助け合う?」
声が震える。
「一人の子どもの未来を犠牲にして、別の子を守ることが?」
由香里は黙った。
「それは家族じゃない」
私ははっきり言った。
「ただの支配だ」
その瞬間、咲希のスマートフォンが鳴った。
彼女は画面を見る。
そして表情を変えた。
「お父さん……」
「どうした?」
咲希は震える手でスマホを差し出した。
そこには大学からの新しい通知が表示されていた。
奨学金の正式確認。
そしてもう一つ。
「特別面談のお知らせ……?」
黒田さんが頷いた。
「はい」
彼は真剣な目で咲希を見た。
「大学側は、あなたの事情を確認した上で、ある提案を用意しています」
「提案……?」
黒田さんは少し間を置いた。
「あなたが失った数か月を取り戻すためのものです」
私は娘の肩に手を置いた。
しかし、その時。
庭の入口から、別の声が聞こえた。
「待ってください」
全員が振り返った。
そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。
彼女は青葉大学の封筒を持っていた。
そして、まっすぐ私たちを見た。
「私は、咲希さんが本当に辞退を望んだのかを確認するために来ました」
女性は封筒から一枚の紙を取り出した。
「なぜなら……」
彼女は妻を見る。
「辞退届が提出される前日、咲希さん本人から大学へ送られたメールがあるからです」
私は息を呑んだ。
咲希は首を振った。
「私……そんなメール送ってない」
女性は静かに言った。
「そのメールには、こう書かれていました」
彼女が紙を開く。
「『私は家族のために、自分の夢を諦めます』」
庭全体が凍りついた。
そして私は悟った。
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妻は娘の署名だけではなく――
娘の言葉まで、偽造していたのだ。