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Chapter 7: 隠された母の遺言

「約束?」

私はその言葉を聞き返した。

書斎の空気が重くなる。

由香里はドアの前に立ったまま、動かなかった。

「咲希の母親と、何を約束したんだ」

しばらく沈黙が続いた。

やがて由香里は、ゆっくり椅子に座った。

「……あなたは知らなかったのね」

「何をだ」

「咲希のお母さんが、亡くなる前に私を呼んだこと」

私は息を止めた。

咲希の実の母親、玲子。

私が愛した女性。

咲希を残して病気で亡くなった人。

その最後の日々は、私にとって今でも忘れられない記憶だった。

しかし、由香里がそこに関わっていたことなど、一度も聞いたことがなかった。

「なぜ俺に言わなかった?」

由香里は目を伏せた。

「言えるわけなかった」

「理由になっていない」

彼女は震える声で話し始めた。

「玲子さんは、自分が長くないことを分かっていた」

私は黙って聞いた。

「そして、咲希のことを誰より心配していた」

由香里は古い手紙を見る。

「彼女は言ったの」

『咲希は、自分の人生を自分で選べる子に育ててほしい』

胸が締めつけられた。

それは、まさに玲子らしい言葉だった。

「でも……」

由香里の声が小さくなる。

「彼女は私に、咲希の実の母親の代わりになってほしいとは言わなかった」

「じゃあ何を?」

由香里は涙を流した。

「咲希を、自分の寂しさを埋める道具にしないでほしいって」

その瞬間。

私は妻を見た。

「……お前は」

声が震えた。

「玲子さんとの約束を破ったのか」

由香里は何も言わなかった。

それが答えだった。

翌朝、私は咲希を連れて大学へ向かった。

本当のことを話すべきか迷った。

しかし、これ以上隠すことはできなかった。

大学の相談室で、黒田さんと担当者が待っていた。

「咲希さん」

担当者の女性が優しく言った。

「今回の件で、あなたに伝えたいことがあります」

咲希は姿勢を正した。

「はい」

女性は資料を開いた。

「実は、あなたのお母様から以前、大学へ問い合わせがありました」

咲希の顔が変わる。

「私の……母?」

「はい」

黒田さんが続ける。

「玲子さんは、あなたが小学生の頃に亡くなられる前、将来あなたが進学する際のために資料を残していました」

机の上に、小さな封筒が置かれた。

「これは大学が保管していたものです」

咲希は震える手で封筒に触れた。

「どうして……」

彼女の目から涙が落ちる。

「どうして母が、こんなことまで……」

私は横で見ていた。

娘はずっと、母親を失った悲しみを抱えていた。

でも、母親は最後まで娘を守ろうとしていた。

咲希が手紙を開く。

しばらくして、彼女の肩が震えた。

「……お父さん」

「どうした?」

「お母さん……私のこと、ずっと見てた」

私は隣に座った。

「何て書いてある?」

咲希は涙を拭いた。

「『あなたが誰かに勝つためじゃなく、あなた自身を大切にするために学んでほしい』って」

その言葉を聞いた瞬間。

私は胸の奥が痛んだ。

由香里は、咲希に「誰かのために諦めろ」と教えた。

でも玲子は最後まで「自分のために生きろ」と願っていた。

帰宅すると、家の前に美咲が立っていた。

「お父さん」

彼女の顔は青ざめていた。

「話があります」

私は車を止めた。

「何だ?」

美咲はスマートフォンを握りしめた。

「昨日の奨学金申請の件……」

彼女は震えながら言った。

「私、誰かに利用されていたみたい」

「どういう意味だ?」

美咲は画面を見せた。

そこには、一つのメールがあった。

送信者不明。

内容は短かった。

『あなたのお母さんは、あなたを選んだ』

『咲希はいつも恵まれていた』

『だから、少しだけ奪ってもいい』

私は眉をひそめた。

「誰が送った?」

美咲は首を振った。

「分からない」

そして、最後の一文を見せた。

『でも、あなたの母親は本当のことを知らない』

私は息を止めた。

本当のこと。

その言葉が頭から離れなかった。

その夜。

私は由香里に問い詰めた。

「美咲に送られたメールについて知っているか?」

由香里の顔が変わった。

「……知らない」

しかし、彼女の反応は遅すぎた。

「嘘だな」

「違う!」

由香里は叫んだ。

「私はただ……」

「ただ何だ?」

彼女は言葉を失った。

その時。

玄関のチャイムが鳴った。

深夜十一時。

こんな時間に訪ねてくる人間などいない。

私がドアを開けると。

そこには、一人の老人が立っていた。

彼は私を見るなり、こう言った。

「あなたが咲希さんのお父さんですね」

「そうですが」

老人は封筒を差し出した。

「玲子さんから預かった最後の手紙を、今まで渡せませんでした」

私は凍りついた。

「なぜ今?」

老人は悲しそうに答えた。

「約束の期限が来たからです」

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そして封筒の裏には、こう書かれていた。

『咲希が十八歳になった時、必ず父親へ渡してください』

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