Chapter 6: 逃げられない家
私は朝まで眠れなかった。
机の上に置いた書類を何度も見返した。
母は私を止めるために、どこまで準備していたのか。
考えるほど怖くなった。
でも、同時に怒りも湧いてきた。
私は家族のために十年以上我慢してきた。
弟の迎え。
妹の宿題。
家事。
母の愚痴。
全部、自分からやっていたと思っていた。
でも違った。
いつの間にか、それは「当然の役割」に変えられていた。
朝、私は書類を持ってリビングへ行った。
母はコーヒーを飲んでいた。
「これ、説明して」
机に置く。
母は書類を見る。
そして、驚くほど落ち着いていた。
「見たのね」
「どうしてこんなことをしたの?」
「あなたのためよ」
私は笑ってしまった。
「また?」
「本当よ」
母は真剣な顔をした。
「大学に行って苦労するより、家にいて安定した生活をする方がいい」
「私に聞いた?」
「親が判断することもある」
「私はもう子供じゃない」
母は首を振った。
「あなたはまだ分かってない」
その言葉。
何度も聞いた。
でも、もう怖くなかった。
「分かってないのはお母さん」
私は言った。
「私が何を望んでいるか、一度でも聞いたことある?」
母は黙った。
「私が疲れている時、気づいたことある?」
沈黙。
「私が泣いていた夜、知ってた?」
母の表情が少し揺れた。
でも、すぐに戻った。
「家族のために我慢するのは普通」
その一言で、私は完全に理解した。
この人は、私の痛みを見ていない。
見ようとしていない。
「私は家を出る」
その瞬間、母の顔色が変わった。
「何?」
「大学に行く。自分の人生を生きる」
「そんなこと許さない」
「許可をもらう話じゃない」
母は立ち上がった。
「あなた、本当に家族を捨てるの?」
私は涙をこらえた。
「違う」
震える声で答える。
「私は、自分を捨てるのをやめるだけ」
その時、玄関のドアが開いた。
田中先生だった。
「美咲」
私は驚いた。
「先生?」
母の顔が青ざめた。
「どうしてここに?」
田中先生は手に封筒を持っていた。
「大学から連絡がありました」
母は黙った。
「美咲さんの件について、学校として確認したいことがあります」
先生は封筒を開いた。
中には新しい書類。
「そして、この署名についてですが」
先生が母を見る。
「筆跡鑑定の結果が出ました」
母の表情が固まる。
私は息を止めた。
先生は静かに言った。
「これは、美咲さん本人が書いたものではありません」
部屋の空気が張り詰めた。
母は何も言わなかった。
その沈黙が、すべてを認めていた。
しかし、その時。
母のスマホが鳴った。
画面を見た母の顔から、初めて本当の恐怖が浮かんだ。
「……そんな」
私は思わず聞いた。
「誰から?」
母は答えなかった。
でも、画面に表示された名前が一瞬見えた。
それは。
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私が知らない人物ではなかった。
私の父の名前だった。