Chapter 13: 母が守った選択
黒田真人が連行された後も、私はその場から動けなかった。
警察の声。
書類を確認する音。
大人たちが交わす言葉。
全部が遠くに聞こえた。
私の頭の中に残っていたのは、たった一つの事実だった。
神谷さんは。
母が亡くなった夜、そこにいた。
私は彼を見た。
「本当のことを全部話してください」
声は震えていた。
でも、逃げるつもりはなかった。
神谷さんはゆっくり頷いた。
「分かりました」
父は隣に立っていた。
表情は硬い。
でも、私を止めなかった。
神谷さんは古い椅子に座った。
そして話し始めた。
「君のお母さんと私は、昔付き合っていました」
私は黙って聞いた。
「でも、彼女は途中で気付きました」
「何に?」
「私と一緒にいることで、君が幸せになれるとは限らないと」
胸が痛んだ。
「だから、お父さんを選んだんですか?」
神谷さんは父を見る。
「はい」
父は何も言わなかった。
「あなたのお父さんは、君のお母さんを本当に愛していた」
神谷さんは続けた。
「そして、咲希さんが生まれた時も、血の問題より先に父親になることを選んだ」
私は父を見た。
父は目を伏せた。
「でも、あなたは知っていたんですよね」
父に聞いた。
「私の本当の父親が誰か」
父は長い沈黙の後、頷いた。
「可能性は知っていた」
「いつから?」
「お前が小さい頃」
私は息を止めた。
「なのに、どうして?」
父の目に涙が浮かんだ。
「お前が俺を父と呼んでくれたから」
その一言で。
何かが崩れた。
父は続けた。
「血液型の検査結果を見た時、疑問はあった」
「でも、お前のお母さんは俺に言った」
父の声が震える。
「『咲希に必要なのは、真実を押し付ける人じゃなく、愛してくれる人です』って」
私は泣きそうになった。
母は。
最後まで私のことを考えていた。
神谷さんが小さな封筒を出した。
「これも渡します」
「何?」
「君のお母さんが、あなたのお父さんに残した手紙です」
父は驚いた。
「俺に?」
神谷さんは頷いた。
父が開く。
しばらく読む。
そして。
涙を流した。
私は初めて見た。
父が泣く姿を。
「何て書いてあったの?」
父は震える声で答えた。
「ありがとうって」
「……」
「咲希を守ってくれてありがとうって」
その言葉に、私の涙も止まらなかった。
でも。
まだ一つだけ残っていた。
悦子のこと。
家に戻ると。
悦子は荷物をまとめていた。
結衣が隣に立っていた。
「お母さん」
結衣の声は震えていた。
「本当に全部知らなかったの?」
悦子は手を止めた。
「……」
「私、咲希のお金で車を買った」
結衣の目に涙が溜まる。
「そんなつもりじゃなかった」
私は静かに言った。
「でも、結果は同じ」
悦子は私を見る。
以前のような強さはなかった。
「咲希」
「何?」
「許してほしい」
私は黙った。
簡単には言えなかった。
私の大学。
私の努力。
私の未来。
全部を壊された。
でも。
祖母の言葉を思い出した。
『自分自身の答えを選びなさい』
私は言った。
「許すかどうかは、これから決める」
悦子は涙を流した。
「でも、一つだけ言う」
私は彼女を見る。
「私はもう、あなたの言葉で自分の価値を決めない」
悦子は何も言えなかった。
その夜。
父は私の部屋に来た。
「咲希」
「うん」
「大学のこと」
私は少し笑った。
「まだ間に合うかな」
父は頷いた。
「絶対に間に合わせる」
私は窓の外を見る。
昔と同じ夜空。
でも。
私自身はもう昔の私ではなかった。
翌日。
高橋さんから連絡が来た。
「咲希さん」
「はい」
「黒田さんの件で新しい事実が出ました」
私は緊張した。
「何ですか?」
「彼が最後に狙っていたものが分かりました」
「お金じゃないんですよね」
高橋さんは答えた。
「はい」
「では何を?」
少しの沈黙。
そして。
彼女は言った。
「祖母様が残した、あなたの名前に関する権利です」
私は眉をひそめた。
「名前?」
「佐藤家の財産だけではありません」
高橋さんは続けた。
「あなたのお祖母様は、ある会社の株式もあなたに残していました」
私は驚いた。
「そんな話、聞いていません」
「だから黒田さんは恐れていたんです」
「なぜ?」
高橋さんの答えは予想外だった。
「咲希さんが成人した瞬間、本当の所有者になるからです」
私は息を呑んだ。
祖母が守っていたもの。
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それは。
大学資金だけではなかった。