Chapter 10: 偽物の声
玄関の向こうから聞こえる声は、確かに父の声だった。
優しくて。
少し低くて。
僕が何百回も聞いた声。
「翔太」
もう一度呼ばれる。
胸が苦しくなる。
走って抱きつきたい。
「父さん……」
僕の足が一歩前へ出た。
でも、高橋さんが強く肩を掴んだ。
「待て」
「でも、声は父さんだよ」
高橋さんは首を振った。
「だから危険なんだ」
僕は端末の画面を見る。
『声紋一致率 98%』
父と同じ声。
でも。
『本人確認失敗』
なぜ?
「どういうこと?」
僕が聞くと、高橋さんは苦しそうな顔をした。
「君のお父さんは、もしもの時のために声紋データを残していた」
「もしもの時?」
「誰かが声を使って君を騙そうとした場合だ」
僕は息を呑んだ。
父はそこまで予想していたのか。
「じゃあ、あの人は……」
高橋さんは頷いた。
「お父さんではない」
その瞬間。
ドアの向こうから声が変わった。
「翔太」
今度は少し低く、冷たい。
「開けなさい」
僕は背筋が凍った。
さっきまで優しかった声が、一瞬で別人のようになった。
「どうして?」
僕は震えながら聞いた。
「どうして父さんの声を使うの?」
沈黙。
そして。
「賢い子だ」
ドアの向こうの男が笑った。
「さすが、あの人の息子だ」
黒田が小さく呟いた。
「彼だ」
僕は振り返った。
「知ってるの?」
黒田は黙った。
「誰なの?」
黒田の顔が歪んだ。
「……俺の部下だった男だ」
全員が驚いた。
「部下?」
黒田は拳を握る。
「昔、俺の会社で働いていた」
「名前は?」
黒田は答えなかった。
代わりに恵美さんが言った。
「村上」
僕は知らない名前だった。
でも、大人たちの表情を見れば分かった。
ただの人ではない。
「なぜ父さんの声を?」
高橋さんが言った。
「お父さんが集めていた証拠の中に、声のデータもあった」
「つまり……」
「彼は君のお父さんをずっと調べていた」
玄関の向こうから、突然ドアノブが動いた。
ガチャ。
鍵がかかっている。
でも、男は焦らなかった。
「翔太」
声が響く。
「君のお父さんは、もう助からない」
僕の心臓が止まりそうになった。
「嘘」
「嘘じゃない」
「父さんは生きてる」
男は笑った。
「そう思いたいんだね」
その言葉が胸に刺さった。
僕は怖かった。
もし本当に父がいなかったら。
もし、もう二度と会えなかったら。
その時。
葵ちゃんが僕の手を握った。
「翔太くん」
「……」
「お父さん、言ってたよ」
「何を?」
葵ちゃんは涙を拭った。
「翔太くんは、簡単に諦めない子だって」
僕は顔を上げた。
父の言葉。
いつも言われていた。
「翔太は優しい。でも、強い子だ」
僕は端末を見た。
まだ父のデータが残っている。
なら。
僕も父を信じる。
「高橋さん」
「何だ?」
「この家から出る方法は?」
高橋さんは驚いた。
「逃げるのか?」
僕は首を振った。
「違う」
「じゃあ?」
「父さんを探す」
静かな決意だった。
その時。
地下室から音がした。
全員が振り向く。
誰もいないはずの地下室。
そこから。
ピッ。
電子音。
僕は急いで走った。
壁の奥。
隠れていた小さな画面が光っていた。
そこに新しいメッセージ。
『翔太へ』
父の文字。
『もし村上が来たなら、この場所は見つかった』
僕の手が震える。
『次の場所へ移動しろ』
次の場所。
『ただし、一人で来い』
僕は続きを読む。
『誰も信用するな』
その一文を見て、僕は止まった。
誰も。
つまり。
高橋さんも。
恵美さんも。
葵ちゃんも。
「翔太?」
葵ちゃんが心配そうに見る。
僕は画面を閉じた。
でも、その時。
最後の一文が表示された。
『ただし、葵だけは信じろ』
僕は息を呑んだ。
父は分かっていた。
葵ちゃんが僕を守ることを。
そして。
画面の下に場所が表示された。
父が最後に指定した場所。
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それは――
母のお墓だった。